「フトン着て寝る」
京都を遊びに訪れた人が、必ず一度や二度は耳にする有名な句があります。
これは芭蕉の古参の弟子のひとり服部騰豊の作です。
嵐雪は宝永3年(1706)に没していますから、彼の晩年の作とみても元禄期(1688~1703)にこの句はできていたとみていいでしょう。
あの京都は東山のたたずまいが、フトンを着てねる姿のようだという、一見なんの特色もない発想のようにみえる句です。
しかし当時、「フトン着て」という表現に、当時としては新鮮なひびきがあったとみるべきでしょう。
近世に寝具としてのフトンが出現していらい、フトンとはシキブトンに限られ、カケブトンはいまだに現われてこなかったのです。
「夜着・蒲団」と対で呼ばれ、夜着は上掛(うわかけ)の夜具、蒲団は敷夜具ときまっていたものです。
そうした一般の常識をやぶったところに、この句の特色があったわけですね。
しかし、常識を破るといっても、全く世間に適用しない新造語をふりまわしても俳句にはなりません。
やはりこうした句の生まれる背景として、フトンを着て寝るという風俗が生まれつつあったと解されるでしょう。
フトンを着て寝るという以上は、上掛けのフトンがあっていいわけです。
これに関し符て思い出されるものとして、芭蕉の終焉を書きつづった『花屋日記』の元禄7年(1694)10月11日の条です。
一ツ蒲団を被って寝たのですから、これはシキブトンでなく、カケブトンと思われます。
この記事は大阪でのできごととみられますから、元禄7年には、一方で夜着・蒲団の風俗が関西から関東まで普及する傾向にあった反面、京阪の地ではすでにカケブトンがあらわれつつあったとみてとることができるでしょう。
さすがにまだ羽毛 布団 通販はなかったでしょうが・・・。