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とりあえず睡眠・・・

というタイトルにしてみました。


何も思い浮かばなかったので・・・


とにかく、これからブログをはじめます。


タイトルからもわかるかと思いますが、わたしは三度の飯より睡眠というタイプです。


隙があったらとにかく寝る。


そんなわたしの生活や、睡眠についてのいろいろなことを書き綴っていこうと思ってます。


オススメのふとんや枕などの寝具なんかも紹介するつもりです。


とにかくベッドまわりを快適にすることを常に意識しているので、それ関連のものも。


快眠グッズも結構持っています。


眠るのって本当に気持ちいいですよね。


ではまた。

お布団の歴史って

布団にもなかなかの歴史があるものですね。


最近面白いことを知ったのでここで紹介したいと思います。


江戸時代にふとんが一般的に使われるようになったそうですが、それは遊郭が発祥の地だったそうです。


さて、遊郭というのは、郭(くるわ=曲輪)とよぶ、かこいとか水をたたえた濠をめぐらした一区画に遊女を集めた遊び場のことです。


「傾城町の外、傾城商業致すべからず」(元和3年・1617吉原条目)


・・・とあるような独占権があたえられると、一般世間とは切り離されたこの世界特有のしきたり、特に遊女を格づけする階級制度が固定してきました。


延宝6年(1678)に畠山箕山という好事家の書きのこした『色道大鏡』によると・・・


遊廓の女郎には太夫職・三八・天職・囲職・端女の五階級があり、きびしい階級の差別が定められていたようです。


遊女の階級はそのまま、遊料(ゆうりょう)と称する揚代(揚銭)にあらわれます。


『色道大鏡』に記された京都島原での遊料をあげると太夫職58匁、天職30匁、囲職18匁、端女11匁とあります。


60匁が1両、1両が大ざっぱに今の2万円くらいにあたるとしても、大した額ではないようにみえます。


しかし、じっさいは遊料(揚銭)だけで遊べるわけでなく、太夫を揚げて遊ぶとなると、茶屋への払いが40両、太夫への贈物30両など、総額100両ぐらいの用意は必要であったといいます。


これが普通の太夫を買う場合の相場。


一世の名妓とうたわれた京の吉野太夫とか大坂の夕霧太夫、江戸の高尾太夫などになると、とても現代の100万や200万の金ではおよびもつかない多額の費用が必要であったそうですよ。


超高級ですね。

『好色一代男』にみる布団の歴史

『好色一代男』をみてみます。


主人公世之介は、高尾太夫の女郎盛(ざか)りをみんとして、京都からはるばる江戸までの長い道中を重ねて訪問し、


「さて太夫は」と尋ねると、


「9月、10月の両月はもちろん、はや正月の約束までできています。


年内に御ひまとては1日もありませんから、今年は江戸で過ごされて、高尾を買うのは来春のことになされませ」


・・・との返答です。


さすがの世之介も、このたび使いすてるために用意してきた金1000両ではとてもおよび難いと歎息する、とあります。


もとより、これは小説の中での話ではあります。


しかし、世をときめく紀国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門の大尽(だいじん)遊びというのは、まことに1000両の金を梁のごとくに婆したものと愛てもいいでしょう。


そうした豪華な遊楽(ゆうらく)の里が遊郭なのでしたから、そこにこの世界特有の文化が生まれ育ってもおかしくはないですね。


さて、遊女の階級は、彼女の身につける衣装はもちろんのこと、いろいろの道具類や、遊女につき従うお付きの人員種類まで、いちいちきびしい差別を伴うものだったようです。


この格差をもっとも端的にあらわすものは「寝道具」特に敷ブトンでした。


一般的にいうと太夫は三ツ蒲団・天職はニツ蒲団・囲職は蒲団一枚の定まりだったようです。


つまり、敷きブトンの枚数が多いほど遊女の格が高かったというわけです。


ちなみに江戸ではこれらの傾城は、太夫・格子(こうし)・散茶(さんちゃ)とよばれ、その下が梅(うめ)茶・局(つぼね)とよばれたそうです。

女郎の階級に応じた寝具

『好色一代女』という小説もあります。


この主人公は、素姓のいいのを鼻にかけ、姿自慢して高くとまりすぎたのがおざわいして客足が遠のいてしまいました。


「窺かた持(もち)こたへず、一門内談(親族甫相談の上で)して天神(天職と同じ)におろしけるに、はや其日より引舟女郎(囲職の格式をもった太夫づきの女郎)もなく、寝道具も替りてふとんづたつになし、すゑずゑも腰をかがめず、様(さま)付けし人も殿(との)になり。


座付も上へはあげず(上座にはあげてくれない)、口おしき事是に幾度か」


・・・というかわりようであったとあります。


この主人公は、天神(天職)格下げされたのにこれほどくやしがっていたのですが、つぎには囲職におとされます。


・・・と、日の暮れるのをまち兼ねて「ひとつふとんの床(とこ)に入」り、という具合に万事が露骨になっていきます。


とはいっても、太夫・天職・囲職は総じて傾城(けいせい)とよばれる高級遊女であって、一般庶民の相手になるのはさらにその下に位する端女(はしおんな)でした。


ところがこの端女の中にも段階があって、揚代(あげだい)によって三匁取(さんもんどり)・二匁取・一匁取・五分取(ごふんどり)のよび名があったといいます。


『好色一代女』のヒロインがたどった転落のプロセスがそれなのです。


そのプロセスを語る挿話によると、この下級女郎のなかにも段階に応じた羽毛 布団などの寝具があったようです。

遊女の布団

『好色一代女』からぬきがきしてみると三匁取はさすがに鷹揚(おうよう)でした。


客があれば、禿(かむろ=下働きの幼女)が中紅(ちゅうもみ=中等の紅絹=もみ)の蒲団をとって、部屋ごしらえをしてくれます。


二匁取となるとそれを自分でしなければならなくなるのです。


一匁取になると、


「屏風の陰なる寝莚を取出し、ひそかに帯をはじめからときて、客のおもはくもかえり見ず、内(抱え主)からのいひ付の通り着物着替て、ふたのも(腰巻)とき掛てくろめ」


気のせく男に調子を合わせて首尾をすませる・・・といった具合になります。


五分取となると、


「自戸をさして、豊嶋莚(摂津豊島郡産のむしろ)のせまきを片手にして敷(しき)、足にて煙草盆をなをし、男引(ひき)こかして……」


といったすさまじさ。


このように端女になると、三匁取とこ匁取とはかろうじて中紅(ちゅうもみ)の蒲団ひとつをあたえられることがわかります。


一匁取は寝莚(ねむしろ)、五分取はさらに狭い寝莚(狭莚)といったぐあいに、寝道具にれきぜんとした差別のあったことがわかります。


今の時代ように、誰でも羽毛 ふとんを手に入れられる時代ではなかったのです。


遊廓の風俗は浮世絵風俗画の題材としてももてはやされたものです。


遊女の寝道具が三ツ蒲団、ニツ蒲団とはっきり見別けがつくように表現されるのは鈴木春信あたりからであり、以後の浮世絵版画あるいは浮世草子の挿絵には遊女の寝道具はしばしば登場してきます。


しかし、三ツ蒲団の全盛期は元禄期が頂点であるように思われます。


・・・以上は寝道具といっても、主として敷夜具の種類について記された史料でした。


『色道大鏡』の三職女郎装束之制法という項には、三職(太夫・天職・囲職)の寝道具一般について、もっと詳細な定事が書きとめられています。

封建社会の産物

このような規則を、いったい誰が、いつ制定したものか、またその規制がどの程度にゆきわたっていたものかはまだ充分に裏づけられていません。


しかし、少なくとも遊里の一廓にこのような定りがあったことは、一般世間の権力のおよばない、人間の心の解放が得られるはずの遊廓もまた、けっきょくは階級制度のやかましい封建社会の産物にほかならなかったことを物語っています。


ただこの世界では生まれながらの身分による階級ではなく、女の値打が物をいう階級であり、買う側の立場でいえば、金が物をいう階級であったところに大きな特色がありました。


さて、遊廓では女は金が目あて、男は女が目あてで取引きがなりたっています。


揚代は取引の実質にかかる最低必要料金ですが、それだけでは高級女郎は買えなかったのです。


ことに太夫を買うには千金を投じるかくこのいる例はさきにものべた通り。


しかし、太夫の方でも体面を保つためには、それ相応の入り用があったことも事実でしょう。


ちょっと時代がさがりますが、文化13年(1816)の序文のある『世事見聞録』をみてみると、遊女はもともと親や夫、あるいは家族のために何両・何十両の金を亡八から前借りしたそうです。


そして、その金のかたに身をあずけて働かされているわけなのです。


揚代がはいっても借りた本金(もときん)の返済にとりあげられてしまいます。


衣裳や羽毛 フトンなどの寝具を抱え主からあてがわれれば、それがまた借金の上積みになります。


このために、贈物とかいろいろの名目で客からの別途収入を計らねばならなかったのです。

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