『好色一代女』からぬきがきしてみると三匁取はさすがに鷹揚(おうよう)でした。
客があれば、禿(かむろ=下働きの幼女)が中紅(ちゅうもみ=中等の紅絹=もみ)の蒲団をとって、部屋ごしらえをしてくれます。
二匁取となるとそれを自分でしなければならなくなるのです。
一匁取になると、
「屏風の陰なる寝莚を取出し、ひそかに帯をはじめからときて、客のおもはくもかえり見ず、内(抱え主)からのいひ付の通り着物着替て、ふたのも(腰巻)とき掛てくろめ」
気のせく男に調子を合わせて首尾をすませる・・・といった具合になります。
五分取となると、
「自戸をさして、豊嶋莚(摂津豊島郡産のむしろ)のせまきを片手にして敷(しき)、足にて煙草盆をなをし、男引(ひき)こかして……」
といったすさまじさ。
このように端女になると、三匁取とこ匁取とはかろうじて中紅(ちゅうもみ)の蒲団ひとつをあたえられることがわかります。
一匁取は寝莚(ねむしろ)、五分取はさらに狭い寝莚(狭莚)といったぐあいに、寝道具にれきぜんとした差別のあったことがわかります。
今の時代ように、誰でも羽毛 ふとんを手に入れられる時代ではなかったのです。
遊廓の風俗は浮世絵風俗画の題材としてももてはやされたものです。
遊女の寝道具が三ツ蒲団、ニツ蒲団とはっきり見別けがつくように表現されるのは鈴木春信あたりからであり、以後の浮世絵版画あるいは浮世草子の挿絵には遊女の寝道具はしばしば登場してきます。
しかし、三ツ蒲団の全盛期は元禄期が頂点であるように思われます。
・・・以上は寝道具といっても、主として敷夜具の種類について記された史料でした。
『色道大鏡』の三職女郎装束之制法という項には、三職(太夫・天職・囲職)の寝道具一般について、もっと詳細な定事が書きとめられています。