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2010年12月 アーカイブ

夜着と寝具

もう一つは、文政9年(1826)刊の『色深狭睡夢』という人情本に、長四角の額蒲団で寝る風俗描写があるものが最も早い資料です。


それより古いものは見出せません。


そうしたところから嵐雪の句や『花屋日記』にフトンとあるのは敷蒲団をさしており、本来は下に敷く蒲団を上掛けに用いた情景を描写したものと解されます。


・・・氏の主張されるように、元禄頃に掛蒲団があらわれたにしては、幕末にいたるまでの間を埋める資料に乏しいのはたしかに不思議といえます。


したがってその点に関していえば氏の説にも説得力があります。


しかし、それならばなぜ『守貞漫稿』があのような文面をのこしたかが疑問になります。


内容を解読してみると「現在夜着を用いるのはおよそ遠州より東だけです。


三河から西、京坂方面は襟袖のある夜着というものを用いないのです。


だけれども昔は京坂でも之を用いていたようで、元文(1736~40)等の古画にはそれがあります。


喜多川守貞がこれを書いたのはおもに天保から嘉永の頃です。


文化7年(1810)大阪に生まれた守貞自身の経験はもちろんのこと、おそらく当時の古老たちも襟袖のついた高級 羽毛 布団のような夜着を知らなかったようですね。

掛け布団の出現

「然ドモ昔ハ京坂モ用レ之欺」


・・・という表現は、守貞の周辺におよそそのような記憶の持ち主は生存しませんでした。


なればこそ、


「兀文等の古画に有レ之」


・・・とわざわざ根拠をあげて説いているわけでしょう。


こうした推定を裏づける史料として、昭和53年に出された大阪の海産物商助松家の古文書を集録した『助松屋文書』(近江晴子編)の史料があります。


この史料は、宝暦年間(175~163)のものと推定されています。


この入目録に蚊帳、桑枕、座蒲団と並んで記されているものがあるのです。


この目録は五代目の当主藤井武左衛門のものであることから宝暦年間と推定されているだけに、年代にはかなり信頼がもたれます。


そこに蒲団と敷蒲団が別書きされている以上、蒲団とあるのは掛蒲団の意味とうけとれます。


上方で、元禄以降の早い時期に羽根 布団のような掛蒲団を使う具体的な史料が見当たらないのは何といっても口惜しい思いです・・・。


とはいっても林氏のように一気に年代をおし下げてしまうのは少々いきすぎかと考えています。


さらに新たな史料の出現を私自身も期待しています。

ローマ社会の睡眠

ローマ社会は、他人がホモセクシュエルかどうかを問題にして暇をつぶすような杜会ではありませんでした。


この点に関しては、女性や少年の性器は、受身的な道具と見なされており、躊躇することなく金が渡されていました。


性行為のために金が支払われても、まともな既婚夫人や立派な青年は、自分が金で動かされたと考えたりはしなかったのです。


言い寄るということは、ローマでは、ある金額を差し出すことでした。


自由な男性が、奴隷や身分の低い男と結ぶ能動的な関係である限りは、男色はかわいらしい罪でしかなかったのです。


これにひきかえ、身繕い、言葉遣い、身振り、態度に関する些細な点には、並外れた注意が払われ、雄々しさに欠ける者は、その人物の性的好みがどうであれ、軽蔑をもって責めたてられました。


これは羽根 布団 通販のある現代社会においては考えられないことですが・・・

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