夜着と寝具
もう一つは、文政9年(1826)刊の『色深狭睡夢』という人情本に、長四角の額蒲団で寝る風俗描写があるものが最も早い資料です。
それより古いものは見出せません。
そうしたところから嵐雪の句や『花屋日記』にフトンとあるのは敷蒲団をさしており、本来は下に敷く蒲団を上掛けに用いた情景を描写したものと解されます。
・・・氏の主張されるように、元禄頃に掛蒲団があらわれたにしては、幕末にいたるまでの間を埋める資料に乏しいのはたしかに不思議といえます。
したがってその点に関していえば氏の説にも説得力があります。
しかし、それならばなぜ『守貞漫稿』があのような文面をのこしたかが疑問になります。
内容を解読してみると「現在夜着を用いるのはおよそ遠州より東だけです。
三河から西、京坂方面は襟袖のある夜着というものを用いないのです。
だけれども昔は京坂でも之を用いていたようで、元文(1736~40)等の古画にはそれがあります。
喜多川守貞がこれを書いたのはおもに天保から嘉永の頃です。
文化7年(1810)大阪に生まれた守貞自身の経験はもちろんのこと、おそらく当時の古老たちも襟袖のついた高級 羽毛 布団のような夜着を知らなかったようですね。