『好色一代男』にみる布団の歴史
『好色一代男』をみてみます。
主人公世之介は、高尾太夫の女郎盛(ざか)りをみんとして、京都からはるばる江戸までの長い道中を重ねて訪問し、
「さて太夫は」と尋ねると、
「9月、10月の両月はもちろん、はや正月の約束までできています。
年内に御ひまとては1日もありませんから、今年は江戸で過ごされて、高尾を買うのは来春のことになされませ」
・・・との返答です。
さすがの世之介も、このたび使いすてるために用意してきた金1000両ではとてもおよび難いと歎息する、とあります。
もとより、これは小説の中での話ではあります。
しかし、世をときめく紀国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門の大尽(だいじん)遊びというのは、まことに1000両の金を梁のごとくに婆したものと愛てもいいでしょう。
そうした豪華な遊楽(ゆうらく)の里が遊郭なのでしたから、そこにこの世界特有の文化が生まれ育ってもおかしくはないですね。
さて、遊女の階級は、彼女の身につける衣装はもちろんのこと、いろいろの道具類や、遊女につき従うお付きの人員種類まで、いちいちきびしい差別を伴うものだったようです。
この格差をもっとも端的にあらわすものは「寝道具」特に敷ブトンでした。
一般的にいうと太夫は三ツ蒲団・天職はニツ蒲団・囲職は蒲団一枚の定まりだったようです。
つまり、敷きブトンの枚数が多いほど遊女の格が高かったというわけです。
ちなみに江戸ではこれらの傾城は、太夫・格子(こうし)・散茶(さんちゃ)とよばれ、その下が梅(うめ)茶・局(つぼね)とよばれたそうです。